満月の夜の息抜き

誰かに話す必要がないことたち。

これからの自分のビジネスを妄想してみる

人が少なくなるにつれて、足りない部分を補い合う関係性が必要になると思ってます。

 

この不足をお金で解決して行くことはできると思うのだけど、お金だけに頼って行くとそのお金をどこで稼ぐのかっていうのも問題になります。中国やアフリカで外貨が稼げる人はわずかでしょう。そうなると一部の資本家による事実上の独裁色が濃くなるかもです。

 

平民でも快適に幸せに暮らせる方法があるはずです。それはブツブツ交換の世界かもしれません。小さくコミュニティを作って住まうコーポラティブハウスはよい例なのかもしれません。住んだことないので中はウォーキングデッドみたいになってるかもしれませんが。。シェアハウスというのもある。

 

補い合う合う社会では、幸せについての価値観の共有が重要な気がしています。幸せの定義が異なるとたぶんそのコミュニティは破綻。僕は自分の体が自分なりの納得感があるほどに健康であることが最期の瞬間でもっとも大切だと思う人ですが、たぶんみんなそれぞれちがうでしょう。

 

僕は人生を旅するように生きられたら最高だと思います。僕のいう旅するというのは物理的な意味ではなくですけどね。

 

2040年ごろには都会に住む人にはわからないかもしれませんが、かなり無人地域が増えるでしょう。そうなると地方の土地は整ったインフラもないのでただのようになり日本は都市部にいけば世界水準の便利な生活、地方には広大な自然が残るという観光資源の豊かな国になる気がしています。アメリカのようですかね。

 

また四季によりこれほど豊かに自然の実りを与えてくれる国はそうそうないんじゃないでしょうか。そして地方の治安は一定量悪くなり、日本人ではない人が今よりたくさん住むことになるでしょう。日本語よりも、別の言語も通じ合うためには必要になるかもしれません。

 

多くの人にとっての生活は永続的に暮らして行くことが目的になり、地方は都市部よりは最新テクノロジーや医療などは貧しい暮らしでも、それなりに幸せはあって、でも成功や富を得たい若者はチャンスを夢見てトウキョウに出る。学歴社会はより格差が広がり優秀な人材は英語と中国語を話せるのは当たり前くらいになるではないでしょうか。地方の家庭で普通に勉強している子供が追いつけるようなことはなくなるはずです。子供の頃から良い環境で暮らし、教育を受けられた子供たちはトウキョウの社会でハイソサエティに入るという循環が起きるでしょうね。例えばそんな社会では女性は都会で成功している男性と結婚することを夢見て都市に集まるという形になりますかね。

 

そうなると都会の熾烈な競争社会で暮し、田舎の貧しい暮らしのどちらが幸せかはわかりません。人には嫉妬がある限り、心の安定をはかれない人にはいまと同じように辛いでしょうね。

 

その中にあって、僕の希望はいい感じの男女と楽しく健康に中程度のランクで暮らしたいという程度です。

中程度のランクとは、基本は平屋で、ゲスト用ベッドルームがあって、バスルームは少なくとも10畳くらい、庭にはプールが付いていて、車庫は3台ぐらい入る住居とか?。今から考えるとかなりゴウジャスな暮らしに思える気がしますけど、地方の土地は値下がりするので、このぐらいは都会で一部上場企業の勤めていれば買える程度になるのではないでしょうか。ただし地方には仕事がないので、こういうハウスを買って郊外に暮らすには起業が必須となるでしょう。

中規模の都市に住み、整ったインフラはなく電車も15分に一本くらい、公共ではバスが主な移動手段で、基本は車。ハイウェーでトウキョウに出て買い物をしたりします。

仕事は都会の人からもらっています。商品には誇りがあって、最高ではないけれどブランドがあります。それを売るかサービスを与えて暮らします。従業員は家族とともに幸せに暮らすか、もっと出世したければ、都会に出て行きます。

 

こう考えると自分のブランドを今から育てる、ノウハウを貯める、一緒に暮らす男女を見つける、ことが必要ですね。

未来の都会人に必要と思ってもらう商品やサービスとは?都会では手に入れたくても入れられないものがこの豊かな日本には地方に必ずあるはずですね。物理的な効果があるものは都会には敵わない。だからある意味、心的な効果のあるものです。でも怪しくないやつね。