満月の夜の息抜き

誰かに話す必要がないことたち。

(写本)

天声人語

保守哲学

マチュア・スポーツの大本山国際オリンピック委員会IOC)が「アマチュア規定」をもっと現実に即したものにする改正案を発表した。

たとえば、スキーの花形選手が自分のクツに運動具会社、胸に飲料会社の商標を付けて滑ったりしている。一方に「アマチュアは報酬を受けず、趣味としてスポーツを行う」という厳粛な規約がある。理想と現実があまりにかけはなれてしまったことが改正の事情のようだ。

マチュア主義は、貴族たちが趣味として芸術やスポーツを愛好した歴史に由来し、イギリスがその牙城とされている。IOCの紳士たちはその精神を頑固に守ってきたが、その中核はイギリス人が多かった。だが、それが時代に合わなくなった時、規約を柔軟にして現状に合わせよ、と言い出したのもやはりイギリス人に多かったと聞いた。

なぜ、アマチュア主義の熱烈な信者が、改正派の先頭に立ったのか。それがおもしろい。そこにイギリス流の「保守主義」の本領があると思えるからである。日本で「保守」というと「墨守」と同じ意味合いになる。昔のものをそのままに、昔通りのやり方で守り抜く、といった感じが強い。だから「保守」すなわち「頑迷固陋」だ。

イギリスの「保守」とは、変わらざるを得ぬ状況では変わること、だが慎重に、最小限に変わることをその内容にふくんでいる。理念に忠実であることを誇るだけでは、現実に置いてけぼりにされる。変化に対応し、現実を処理する必要のためには変わらねばならぬこともある。

しかし急激に変えると、マイナスが大きかったり、揺り戻しがくる。だから「変化」の必要は認めるが、「革命」の必要は信じない。歴史の酸いも甘いも知り尽くしたようなこの保守哲学は、黒白、是非、曲直でさっぱりいきたいわれわれの苦手とするところだろう。